記録に残そうと思いながらも約1年半以上経過してしまったので、うる覚えで書いているということをふまえて読んでいただければと思います。
えんばん
おっとと
えんばん
おっとと
焼津から大井川橋
今日は天気が良いです。昨晩お世話になったくろしおを後にします。前半はひたすら市街地を歩きます。
おっこれは有名な「さわやか」ではありませんか。さわやかのハンバーグは美味しいと聞いていますので絶対に食べなきゃいけないと思っていた次第であります。元同僚にも「絶対にさわやかは食べてきてね」と言われております。朝早いのでまだ営業しておらず・・・残念です。
メリーゴーラウンドの馬らしきものが木枠に収められておりました。これは一体なんなんでしょうか。夜になると動き出すとか・・・。謎です。
島田市へ突入です。ここまでずっと国道を歩き続けました。特に変わったことはありません。現場からは以上です。
小腹が空いたので東海道歩き旅2回目のマクドナルドで早めの昼食を食べます。ダブルチーズバーガーにポテト、飲み物はもちろんコーラです。マクドナルドは電源が用意されているので有り難くスマホを充電させてもらいました。スマホの電池が切れる=死を意味します。お腹も充電も100%になったところで再スタートです。ひたすら、川沿いを歩きます。
世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」までやってきました。時間の都合により橋を渡ることは断念。次回必ず渡りたいと思っている次第です。
引き続き、川沿いを歩きます。天気が良いのはすごく嬉しいんですが3月にしては暑い・・・。熱中症に注意が必要です。ここで倒れるわけにはいきません。
大井川橋を渡って、金谷宿へ向かいます。橋の長さは約1キロとこんな長い橋渡ったことありません。歩いても、歩いても向こう岸に辿り着かないという記憶が残っております。
東海道島田宿と金谷宿の間にある大井川は水の勢いが強く、また政治的配慮もあって橋がかけられず、東海道中最大の難所の一つでした。
大井川は水の勢いが強く、政治的な配慮もあり橋をかけることができず東海道最大の難所とも言われていたようです。この難所に果敢に挑んで命を落とした方もいらっしゃるのではないでしょうか。増水などで水かさが増えた場合、当時の旅人は水が引くのを何日も待っていたそうです。橋が架けられて本当に良かった・・・。
ちなみに、川越制度というものがあり川越人足たちが川を渡るための手助けをしてくれたようです。もちろん無料ではありません。お金はかかります。
4つの手法で川越をしていたようです。
・肩車
・連台越し
・棒渡し
・馬越し
私が印象に残ったのが「肩車(かたくま)」です。ちなみに、読んで字のごとく肩にまたがり川を越える手法のようです。
肩車をしながら、勢いよく流れる川を渡る・・・もう現代では考えることができない技ではないでしょうか。川越人足さんは一体、どんな人物だったのか。そしてどんな訓練を行なっていたのか気になって仕方がありません。
色々考え事をしていた結果、無事大井川橋を渡ることができました。しかし、長かった・・・でも贅沢はいけません。当時は肩車で直接川を渡っていたのだから・・・。
大井川橋から掛川
このくらいの橋が自分には丁度良いです。安心して渡れます。
金谷宿までやってきました。旧東海道石畳入り口・・・箱根ぶりの石畳です。また足がボコボコにやられてしまうのか・・・不安と激痛という言葉が脳裏を過ぎります。
石畳が現れました。立派な石畳です。足の相当のダメージを与えてくれることは間違いありません。
石畳を登った先には、茶畑が広がっておりました。一面に広がる濃い緑。初めて茶畑をみたんですがなんだか癒されました。
山に「茶」の文字。菊川を通り過ぎ日坂へ向かいます。
登ったり、下ったり。
25番目の宿「日坂宿」へ到着です。
本陣跡を経由して、掛川へ向かいます。
夕焼けが綺麗ですね。今日は、長い橋を渡ったり、石畳を登ったり下ったりといつものとは違うバラエティにとんだ1日だったと感じております。大井川橋を越えてから記憶が薄いのかこれと言ったコメントがないんですが・・・とにかく疲れました。
しいて言うのであれば、遠州七不思議とも言われている「夜泣石」になります。山賊に殺害された妊婦の霊魂が石に移り泣いたと言われています。
遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)とは、静岡県の遠州地方に伝わる七つの不思議な物語のこと。(ウィキペディア(Wikipedia))
明日はついに東海道ど真ん中と言われる「袋井宿」から浜松を目指します。東海道歩き旅も後半戦に突入。このペースを保って京都・大阪まで向かいたいと思います。
おっとと
本日の道のり
10日目の道のり
歩いた距離:約35.7キロ
消費カロリー:約3012キロ
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